希薄となった絆

今日も40度に達する地域があったようだが、暦の上では立秋を迎えた。
「暑中見舞い」から「残暑見舞い」へと変わり、時候の挨拶では「残暑厳しき・・・」となる。
このところ、長寿と言われる高齢者の所在確認ができないケースがかなり多いということが社会問題となっている。
家人に告げずに家を出、そのまま行方知れずとなってしまう場合もあるだろうが、親と何年も連絡を取っていなかったとか、隣に住んでいても全くわからなかったなど、家族や隣人とのつながり・絆が全く希薄になっている。
かつては近隣との付き合いが疎ましく思われるというような時代もあったかも知れないが、むしろそのことによって、地域社会全体のバランスが取れていた。
世話焼きのじいちゃん、ばあちゃん、こわいおじさんや優しいおばさん・・・。
「最近、○○のじいちゃんを見かけないがどうしたのだろう。ちょっと様子を見てこよう」
「お~い、そこの坊主、あぶないぞ~」
「おやおや、どうしたの?」
どこにいても、何をしていても、周囲で温かく見守る目があった。
子どもたちは外での遊びを通して、やって善いこと悪いこと、危険なこと、言って善いこと悪いことなどを生身の体で学んだ。
これこそが、本来の「社会で子どもを育てる」ことであり、社会で「高齢者を見守る」ことのはずなのだが、いつからか、どこかで違ってきてしまった。
家族とのつながり、隣人とのつながり・・・。
このような希薄な社会に変化させてしまったのは、年齢に関係なく、今を生きる我々のエゴの産物かも知れない。

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