芸術を通して心の目(眼)・耳を豊かに

「秋」ということばから思い浮かぶのは、芸術の秋・読書の秋・スポーツの秋・行楽の秋・食欲の秋・・・。
そして、これらに纏わるさまざまなことばが連想できますが、要するに、何をするにもよい季節ということでしょうね。
どれをとっても年間を通していつでも親しむことはできますが、忙しいとついついどれも忘れてしまいがちです。
去年からは通常の仕事にNPOの雑務が加わり、繁雑な日々を過ごしていますが、わずかな時間でもなるべく自分自身を解放するよう心がけ、ミュージカル、舞台、音楽会などに多く触れるようにしています。
忙しい時こそ心を豊かにし、ものごとを見る目が曇らないようにしていきたいと思っています。
今日はコンサートに行きましたが、途中、指揮者によるベートーベンの交響曲第6番ヘ長調作品6≪田園≫についての説明がありました。
その中で印象に残ったのは「音符はただ書かれているだけのようだが、その音符には、いろいろな情景が描かれている」というようなことばでした。
確かにそうです。
そのことを理解した上で演奏を聴いていると、その時の情景が手に取るように次々と浮かんできます。
ただ耳だけで聞くのではなく、まさに体全体で、五感で聴いているといった感じでした。
音楽史上には、偉大な音楽家が数多くの素晴らしい曲をたくさん残しています。
現代においては有名な指揮者や奏者はたくさんいますが、後世に名を残す作曲家がいるのだろうかと、ふと思いました。
ところで、 「芸術ってなあに?」と聞かれたら、なんて答えたらよいのだろうかと考えてみました。
音楽、美術といったような言葉で表すには単純すぎますし、一言で表現するには案外難しいことに気がつきました。
しかし、今朝新聞を読んでいて<なるほど!>と思った記事がありました。
女優の左時枝さんが母親について書いた記事でした。
左さんの母親は、富山県で100人以上のお弟子さんを持つ華道家だったそうですが、その頃何度も「一つの作品を作るには、一本の枝だけを見るのではなく、奥行きを考えて自然に活けなさい」と言っていたそうです。
ある時左さんが「お母さんにとって芸術って何?」と聞くと、
何も構えず、すんなりと
「芸術って、真心よ」
と答えたそうです。
「真心」・・・そう、このことばは、私がとても大切にしていることばです。
「まごころ」とも「まことのこころ」とも読めます。
何事にも、何者(物)にも、真心を持って向き合うことの大切さは子どものころからずっと感じていることであり、今も大切にしています。
どのようなことにも真心をもって向き合うと、目の前にあるものだけではなく、その奥にある(隠れている)ものも感じ取ることができます。
これはコンサートで指揮者が話された言葉と同様だと思います。
生け花、音符などは、小説のようにことばとしてその背景や情景が語られていませんが、必ずそこには(目に見えない)何らかの情景が描かれています。
それを見たり聴いたりすることができると、芸術の楽しみ方にも深みが増すのではないかと思います。

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