夢中になれるもの

あなたは子どものころ、夢中になれる何かがありましたか?
夢中になれる何かを持っていましたか?
きっと、人それぞれに何らかの思い出を持っていることでしょう。
いつもアイちゃんのことになりますが、アイちゃんは何事にも興味津々で、いろんなことに夢中になって取り組んでいます。
宇宙のこと、科学のこと、カブトムシやクワガタのこと、火山のこと・・・。
とにかく夢中で本を読み、インターネットで調べています。
きっと、学校の授業より楽しんでやっているのでしょう。
「ねえ、問題を言うから答えて!」
「ええ~!わからないよ」
自分が本で読んだり調べたことをしっかり覚えていて、私たちに問題を出したり、わからないことや疑問に思うことは質問してくるのです。
「アイちゃんは将来何になりたいの?」
「科学者!」
即座に返ってきました。
理系のことだけに興味をもっているのかというと、そうではありません。
アルファベットで数を覚えてみたり、漢和辞典やネット辞書を使って画数の多い感じを調べたり・・・。
「ねえ、ねえ、この漢和辞典には33画までしか載っていないけど、79画とか84画の字もあるんだよ」
「へえ~、そうなんだ?
見たことも書いたこともないけど、どんな字なの?」
「こういう字だけど、いくら数えても84画にならないよ」
「どれどれ、ん?
ちゃんと84画になったよ。
もう一度書くからよく見ていてね」
「ああっ、ほんとうだ!
どうして僕が書くと84画にならないんだ?」
一緒に画数の多い漢字、難しい漢字の勉強をすることになってしまいました。
改めて漢字を見ていくと、日常生活の中で、これまでの人生で、書いたことはもちろん、見たこともない漢字がいかに多いかがわかりました。
アイちゃんが一所懸命なのは、このような学習ばかりではありませんでした。
凧揚げではどうしたら高く上げられるか、
ヨウヨウはどうすれば長く続けられるか、
剣玉はどのように扱えば続けて全部に乗せられるか
などを自分なりに考え、工夫しているのです。
「できないからあきらめる」のではなく、できないと悔しくて涙を流しながらやっているのです。
これは私のことだけかも知れませんが、何事においても、興味を持っても最後まで追究する、探求するということをしなかったものがいかに多いかを思い知らされた感じです。
探究心、追究心は、いくつになっても持ち続けたいものだと痛感しました。
人が夢中になれるものを持った時、やりがいというものがその人自身を大きく成長させるといいますが、そのことをアイちゃんから改めて教えられました。
しかし、アイちゃんが楽しみながら夢中になってやれるもの、やれることは、画一化された学校教育の中でいつまで続くのかとふと思いました。
多くの規格化された人間を作り出すのではなく、伸びる芽は摘まずに伸ばして心豊かな人間として成長していった時、この社会はどのように変わっていくのでしょう。

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