心の目、認める勇気

今年も様々な出来事がありました。
世の中を明るくし、幸せ感を伝えてくれるもの、天災、人災・・・などなど。
その中で、天災は私たちの力ではどうすることもできませんが、人災は「なぜ?」と首を傾げたくなるような出来事が<これでもか>というくらいたくさんありました。
今年の世相を一文字で表すと『愛』ということだそうですが、この1年間の世の中を振り返ってみると、愛ということばとは程遠いような出来事が多く、愛は次の年への希望というようにも解釈できます。
大変難しいことかも知れませんが、特定のもの、特定の人にのみ向かう愛ではなく、全てをいかすことができる愛であったなら、尊い生命が平気で奪われるようなことはないでしょう。
愛というのは、全てのものの命を大切に考えるところから生まれてくるのではないでしょうか。
今年も公私において、幼い子どもから高齢の方までたくさんの方々とお会いし、年齢に関係なく様々なことを学ばせていただきました。
その中で特筆すべきことは、「本質を見極める」ことがいかに大切であり、また難しいことであるかということです。
人や物事のある一面だけ、一部分だけを見て、あるいは字面だけを読み、その反対側に隠れた部分、隠された意味、言い換えれば見えない部分を読み取ることなく、安易にそれがその人の全て、そのものの全てであるかのように批評や批判をする人がいかに多いことでしょう。
また、ものごとの本質あるいは真実を見極めることなく、不確かな情報や甘い言葉に踊らされたり足を踏み込んだりするような状況を目にすることも多々ありました。
このように書きながらふと思ったのですが、人にも物にもいろいろな面があることや真実をほんとうはわかっていながら、自分の都合のよいように解釈したいためにわからないふり、見えないふりをしているだけなのかも知れません。
真実を、別の面があることを認めたくないだけなのかも知れません。
人は、他者から見えるある一面だけでなく、いろいろな面を持っています。
ものごとにおいても、ある一面だけでなく、360度の各方向から見ることができます。
必要に応じて、ものごとの本質、真実、見えない部分を見る(読み取る)ことができるよう心の目が曇らないように磨き、認める勇気を持ちたいものです。

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