物を大事にするとは?

片付けても片付けても、いっこうに減らない宝(?)の山。
母にとっては捨てるに捨てられぬ、思い出深い大切な宝物なのだろう。
母の居室の片付けは夏までに終わり、その後、内蔵1階の片付けに入った。
昔は蔵座敷として使っていたところで、母の嫁入り道具である箪笥(他では見たことがないデザインの箪笥)などが置かれていたが、私たち子供が家を離れたあとは、いつしか納戸というより物置のようになってしまっていた。
そこに手をつけたものだから、途中で投げ出すことができなくなった。
兄夫婦は自分たちの仕事があるので一緒に作業をすることができず、仕事の合間に私たちが分別した宝の山をさらに分別し、ゴミ集積場に運んでおいてくれる。
残しておく物は、一旦母の部屋の広縁や片隅に置く。(それらの整理がまだできていない)
この繰り返しを何回しただろう?
今年、片付けのために何回 “小さな旅” をしただろう?
やっと、どうにか1階の片付けが終わった。
さて、2階はどうなっているだろう?と階段を上がってビックリ!
いつの間に、どのようにしてこんな物を持ち上げたのだろう?と思うようなものがあったり、私たちきょうだい5人の子供のころからの物がある。(1階にもあったのだが)
よくぞ、ここまで残しておいたものよ!と、ただただ感心するのみ。
2階の片付けは、おそらく年が明けて暖かくなるころになるだろう。
 
ああして何でも大事に残しておくことができたのは、戦中・戦後の物のない時代を生き抜いてきた人ゆえのこと。
さらに、田舎で家が広く蔵もあり、収納場所がたっぷりあったこと。
それが、今となっては厄介な作業をしなければならない結果となってしまったのだ。
今の私はマンション暮らしなので、とにかく物を少なくしようとしている。
だが、以前のように戸建ての広い家に住み続けていたら、母と同じようになっていたかも知れない・・・とふと思った。
広い家からマンションへの引っ越し経験が、物を減らすことの経験にもなった。
 
「ものを大事にする」というのは難しい。
何でもとっておくことが大事にすることになるのか。
生活にほんとうに必要なものと、生活にうるおいをもたらすためのもの・趣味のために必要な最小限のものを身の回りに置いて、それらを大事に使うことがよいのか。
人それぞれの生き方があるので何とも言えないが、私自身は子供たちに不要な物はできる限り残したくない、スッキリと暮らしたいと考えている。
だが、『言うは易く行うは難し』
 
大事に物を残しておくことに意味のあるものもある。
すっかり忘れていたが、古い書類の中に何代か前からの諸記録が残っていた。
これらは我が家(実家)の歴史を知る資料となる。
まだまだ出てきそうなので楽しみだ。