「登れる山に登る」か「登りたい山に登るか」

「登れる山に登る」「登りたい山に登る」か・・・
テレビから聞こえてきた言葉だったと思う。
大変意味深い言葉だ。
 
例えて言えば、「富士山に登りたいが、ちょっと無理のようだ。高尾山なら登れそうなので、高尾山に登ることにした」。
ここでは「山」に例えて言っているが、自分が進んでいく道をどのように選択するか、ということではないだろうか。
人は、ややもすると困難な道は避け、少しでも安易な道を進もうとする。
自分がやりたいことをするのではなく、やれそうなことだけをする。
つまり、やりたいことをやるために苦労や努力をするより、やれそうなことをする方が楽でよいからなのだ。
危険や冒険は避けて少しでも楽な道を歩きたい、ということなのだろうか。
どの道を選ぶか。その選択は自由だが、無難な道ばかり選ぶ人生はつまらないと思う。
私自身のこれまでの生き方を振り返ってみると、どちらかというと、無意識のうちに無難ではなない方の道を選んできているように思う。
山あり谷あり、その中で小さなあるいは大きな幸せを感じる。
それが人生というものではないだろうか。