2016/11月のメッセージ [手放すことは執着を捨てること]

手放すことは
執着を捨てること
自分にとって必要なものは何かを
見分けることが重要だ
*  *  *
11月になるとそろそろ年末から新年にかけての準備が始まり、“片付け・大掃除”が気になり始める。
日常的にやっていれば特に問題ないのだが、ついついモノをため込んだり細かいところや見えないところの掃除を後回しにしたり…。
その結果、「あ~あ、普段からやっていればよかった!」と後悔するパターンの繰り返し。
 
「空間は心を写す鏡」というが、家の中が片づいていると心は晴々とし、逆に、家の中がゴチャゴチャしていると心も曇ってしまう。
モノがあふれかえり、その中に埋もれている方が落ち着くという人もいるが…。
片付けで重要なのは『手放す』ことができるかどうか。
ただ手当たり次第捨てるというのではなく、それが自分にとってほんとうに必要かどうかを見分けることが第一歩だと思う。
私自身、数回の引っ越しのたびに必要なものかどうかを仕分けして、その都度大量に処分してきた。
また、仕事の都合で自宅から離れて1DKの狭い部屋で生活をした際は、最低限必要なものだけのシンプル生活の快適さを味わった。
そのお陰でなるべくモノを増やさないようにと心がけ、定期的に要不要の仕分けもしている。
ところが、人間というのはいつの間にかいろいろなモノをため込み、気づいたときには部屋の中はモノの山。
自分にとって要不要は関係なく、モノを手に入れ身の回りにおくことで心も満たされていると錯覚しているのでは?
 
手放したくないと思うのは執着心によるもので、家の中にあるモノを自分の生活に当てはめてみていくと、何が必要で何が不要かはおのずと見分けがつく。
一つ捨てることは執着から一つ離れること。
捨てるべきものを捨てることで、残されたモノのありがたみがよくわかる。
別の言い方をすると、目に見えるモノを手放していくことは、目に見えない執着をも手放すことになる。
 
昨日、我が家では不要品を片付けたが、まだまだなくても良いものがたくさんある。
母親や姉たちには『捨て魔』のように言われるが、ほんとうに必要なものは、今あるモノの何割かにすぎないだろう。