2016/7月のメッセージ [心の中のゴミ屋敷]
心の中のゴミ屋敷
目の前のゴミはよく見えても
心の中のゴミには気づかない
* * *
“心の中のゴミ屋敷”という言葉が、とても印象に残っている。
鎌倉円覚寺管長の横田南嶺老師が、禅の言葉にある人間の迷いをゴミにたとえて語られた説法の一部です。
このごろよく「ゴミ屋敷」なるものが報道されているが、家のゴミはよく見えても、心の中のゴミにはお互いに気づいていない。
心の中にゴミが一杯詰まっている状態が迷いであり、ゴミが片付いて綺麗になったのが悟りであり、本心即ち仏心である。
近年もある禅僧は、つねにあなたたちの心はゴミ箱のような状態だ。ゴミを片付けろ、綺麗にしろと言って坐禅の指導をなされていたという。
目に見えるゴミは気づきやすいが、心の中は見えないだけに気づきにくい。
では、その心に気づくには、どうしたらよいか?
あなたならどうしますか?
自分で考えてみてください。