どう育む「心」

マンションの管理人さんが、「ここの子供たちからはすっかり嫌われてしまって、顔を見るとプイっと横を向いてしまう」とこぼしていました。
同マンションに住む小学生が友達を引き連れてきて、最上階の廊下から線路側に小石を投げたり、ベランダからいろいろ投げ落したり、エレベーターを使って遊んでいるのを見かけた時に、何回も注意していたのだそうです。
それで、すっかり嫌われてしまったようです。
以前エレベーターを使おうとした時、キャッキャと賑やかな声や走り回る音が響いてきて、エレベーターは上階を上がったり下がったりしていて、待てどもなかなか降りてこないことがありました。
結局その時は階段で降りましたが、この時だけでなく、何回もこのようなことがあったようです。
管理人さん曰く、「近頃は、親でも自分の子どもをあまり叱ったり注意したりすることがないようだから、他人から注意されるなんて気に入らないんだろうね」と。
以前にも書いたことがありますが、私たちが子どもの頃、私の子どもたちが小学生の頃は、危険が伴う遊びや悪戯をしている子どもを見かけた時は、その子どもを知る知らないに関わらず注意したものです。
また、何かにつけ声をかけたものでした。
家庭だけでなく、地域のどこかで、誰かが、いつも見守っていてくれる、そのような社会でした。
ですから、学校での特別な授業を必要とせず、道徳あるいは社会規範といったものが自然に身についていきました。
今は「個」をあまりにも大事にし過ぎて他人を受け入れず、その結果として、大切な思いやりの心や協調性といったものを置き去りにしてきてしまっているのではないかと思います。
思いやりや強調性も度を過ぎると迷惑になりますが、ちょうど良い匙加減ができるとよいのではないでしょうか。
また、最近の若者は心に壁を作っていて溶け込みにくい、コミュニケーションがとりにくいと言われますが、社会環境で大きく違ってくるのではないかと思います。

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