手のひら

先日の読売新聞編集手帳欄に、「人の手は小さな道具である」という言葉が書かれていました。
石川啄木の手からは数々の歌が紡がれ万人の心をつかんだように、小さな道具が途方もなく大きなものを握ることもある。
が、ある業界人の手がわしづかみにしたものは、最悪の場合には何百にものぼろうかという人命であり、「よごれたる手」はこの業界人だけではない、という内容でした。
人の手・手のひらからは、どのようにしてあのような素晴らしいものができるのだろう?と驚くほど数え切れないいろいろなものが作り(創り)出されます。
まさしく小さな道具という言葉がぴったりです。
手のひらは、何かを作り出す、生みだ出すだけの道具ではありません。
手のひらをそっと人に当てた時、相手に安心感を与えます。
当てられた人は、安心感を得られます。
言葉を交わさなくても相手の心の奥深くに、また身体にも働きかける力をもっています。
人は本来、誰もがこのような素晴らしい手・手のひらを持っていたはずです。
ところが、その手・手のひらが、平気で人命を奪い、不正に使われ、「汚れたる手」となってしまうのです。
使い方次第では、とんでもない道具になってしまうという訳です。
レイキ実践者にとっては、この手一つが何よりも大きな道具となります。
決して間違った使い方をしませんように・・・と願っています。

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