情報に惑わされる心

先日、出先で手にした雑誌を何気なくぱらぱらと繰っていると、
『最近は、○○には□□がよい」、「●●には■■がよい」、「△△にならないためには◎◎がよい」などというような情報が氾濫している。
その一つ一つに踊らされて、皆次々と飛びついていく。
一体何がほんとうによいのかわからなくない。』
というコラムが載っていました。
確かに、テレビでも雑誌でも、さまざまな事物に対して情報合戦が続けられます。
これと同じように、インターネット上や口伝においても、いろいろな情報が飛び交っています。
例えば、何かの会に参加した人が、聞きかじりのあやふやな情報をもとに掲示板に書き込みます。
すると、それを読んだ人があたかも自分もそのことを知っているかのように、何らかのことばを書き込みます。
次第にエスカレートしていき、終いにはとんでもない間違った情報として伝わっています。
口伝の場合も同様です。
まるで伝言ゲームのように、どうしてこんなことが?と思うように、最初と最後とでは、想像もつかないほど違いが出てしまうことがあります。
これらが他に影響のない題材ならよいのですが、人はとかく他に影響を与えかねない、信憑性のないあやふやな情報をあちこちにばら撒きたがります。
そして、人はなぜかその情報に振り回されることが多々あります。
不確かな情報を、あたかも真実のように得意気に発信する人も、またその不確かな情報を、まるで宝物をみつけたかのように拾い集めて得意になっている人も、どのような気持ちでいるのでしょう。
周囲のさまざまな出来事を見るにつけ、「正しく語る」ことの大切さを痛感する日々です。

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