報道の自由・言論の自由、どこまで許される?

拉致問題のテレビ放映を見ていて、報道の自由はどこまで許されるのかと疑問に思いました。
報道の自由があり、また世論は知る権利もありますが、それが度を越した時どうなるでしょうか?
日本のメディアも相手国も、15歳の少女へのインタビューの真の意図はどこにあったのでしょう?
相手は切り札としての少女というカードを進め、また日本のメディアも上手く乗ってしまったのでしょうか?
いずれにしても、15歳の少女を前面に出すということは、一人の少女の心に大きな傷跡を残したばかりでなく、その他の被害者、その家族の人々の心にも深く大きな傷を残しているはずです。
相手国の考え方は枠外におき、インタビューに関しての悔恨はなかったのでしょうか。
何よりも少女の立場で、被害者の立場で、そしてその家族の立場に立って考えることができなかったのかと残念でなりません。
1人の人間としての心情を思うとき、怒りを通り越してやりきれない気持ちになりました。
その他の事件をあわせ考えても、憎み合い、いがみ合いのない世の中、世界であってほしいとつくづくと思いました。
世界平和に向けて、レイキ実践者だけでなく、全世界の人々が祈り続けてほしいものです。

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