判断力が後退?

先日の雪がまだ解けきらないのに、またも雪の予報が出ている。
テレビなどでは「普段、雪の降らない所では雪への備えができていないから・・・」とのコメントとともに、雪道での歩き方やその他の注意点などを伝えている。
あれを聞いていると、時々「?」と思うことがある。
雪にしても雨にしても、伝える側は「そこまで言うか」と思うくらい懇切丁寧に情報を提供してくれる。
受け取る側はそれを当然のように聞き、それでも万一異変があると、情報の提供不足だと批判する。
確かに、十分な情報提供は必要だろうし、受け取る側は有り難い。
だが、天気予報を聞いて “自分で判断する” という能力が、どんどん失われてしまっているような気がしてならない。
 
「今日は雨になるでしょう」という予報なら、いちいち「傘を持ってお出かけください」などというコメントは不要で、傘を持って出かけるかどうかは自分で判断すればよいこと。
雪が降れば乗り物に乱れが生ずるかも知れないということも、普通の靴なら滑る可能性もあるということも予測できる。
にもかかわらず、普通の靴で、普段と同じ歩き方をしていて転ぶと、「天気予報では、そんなこと言ってくれなかった」と責任転嫁。
最悪の場合は、訴訟にまで発展する場合も・・・。
あまりにも依存しすぎている。
『人に親切に』はとても大事なことだが、手取り足取りのような過剰な親切(天気予報の雨や雪はほんの一例)は、かえって私たちの判断力を後退させてしまっているように思える。
このように感じるのは、小さい時から自然と共に育ってきた環境によるものだろうか。