白寿を迎えた母

台風のため順延していた、母の白寿の祝いをおこなった。
「白寿」と言葉で言うのは簡単だが、99年という人生はとてつもなく長いものに感じる。
お姫様が勤め人の父と結婚後、三男であるにもかかわらず実家の後を継ぐことになったため、生まれ故郷から遠く離れた地で、しかも兼業農家の嫁として暮らすことになった。(この当時、家督は長男が継ぐのが当たり前の時代)
慣れない暮らしに加え、戦争・・・。追い打ちをかけるように、跡継ぎを放棄した義兄たち家族の疎開。
その苦労の程は、当時、まだ生を受けていなかった私には知るよしもないが、幼いころより見てきた母の姿から容易に想像できる。
本人は、ただ生きることに一所懸命で、気がついたらこの年齢になっていたというところかも知れない。
 
母は自分が苦労しただけに、“子供には同じような苦労をさせたくない”と、私たちきょうだいを大変厳しく育てた。
“苦労させたくないから何もさせない” のではなく、“苦労させないために、何でもできるように育てる” という考えだったのだ。
したがって「○○をしなさい」と言われたとき、決して「できない」という言葉は通用しなかった。
「やってもいないのに、できないなどと言うな」と返ってくる。
甘えは許されず、とにかく一所懸命やってみて、それでもできないことがわかったとき、初めて「できない」という言葉を受け容れてもらえる。
目の前にどんなことが起こっても、それから逃げずに、とにかくやってみなければならなかった。
また、一つのことを言われたら、言われたことだけをするのではなく、それにまつわることも併せてやっておかねばならない。『一を聞いて十を知る』という心構えでいることを教えられた。
 
いろいろ取り上げるとキリがないが、お陰様で物事をしっかりみつめて判断し、何ごとからも逃げ出さずに生きていく力をつけてもらえたと感謝している。
今の時代、職場などでこのように指導されたら、大問題になるのではないかと思う。