身の回りの整理整頓は自らと向き合うこと

ものを大事にしまっておくのはよいことだが、それも度を超すと、大変厄介なことになってくる。
母の部屋の片付けに行くたびに、そのことを痛切に感じる。
母があれだけたくさんの物をため込んでいたのは、時代の背景を考えるとやむを得ないことと理解できるのだが、それにしても・・・。
 
ものが捨てられず、老年になっても家の中が品物で埋まっているという人の話を聞く。私たちは遺体の始末だけは他人にしてもらわなければならないが、その他の点では、自分のことは自分で始末していくのが当然である、と曽野綾子さんは著書『死ぬのも大変だ』に書いている。
 
たしかに、自分が息を引き取ったときは、だれかに後始末を委ねるほかはない。
また、年齢に関係なく、自分がいつ、どうなるかもわからない。
だから、結局は、日ごろから身の回りの整理をしておくことが必要となってくる。
「もったいない」精神は大事だが、やっと手に入れたものだから、いつかは使うかも知れないから・・・などなど、捨てられない言い訳を考えずに整理しておくことが、自分にとっても最善の策だと思う。
私自身は数度の引っ越しをきっかけに、さらに、自分がいなくなったとき、後に残った人たちが困らないようにと、かなり整理しているつもりだ。
それでも、なくてもよいものがまだまだ目につく。
いや、「まだ使える」「使うときがあるかも知れない」と、捨てられずにいるものがある。
 
自分にとって何が必要で、何が必要ではないか。
それらを考えるということは、ものを通して自分と向き合うことになる。
これからの自分の人生を考えることになるのだ。