思いがけない勉強

墓参りツアー長岡編
前日の花火終了後、湯沢まで戻り宿泊。
2日目(3日)
寝不足で眠い目をこすりながら朝食を済ませ、10時出発。
藤岡ジャンクションから上信越道に入る。
無料休憩所
 
 
 
 
 
 
無料休憩所の中
 
 
 
 
 
 
 
 
“道の駅 甘楽” の無料休憩所(上の写真)で昼食タイム。
しばらく休んでから、目的地である富岡製糸場へ。

*   *   *

製糸工場というと『女工哀史』『ああ、野麦峠』などのイメージから、ネガティブイメージを持っている方が多いと思います。
私もそうでした。
ところが、ここでの説明を聞き、富岡製糸場に対するイメージがちょっと変わりました。
富岡製糸場
富岡製糸場は、明治5年(1872年) 日本で最初に創建された官営の製糸場です。
(社会科での勉強なんて、遙か彼方のこと。すっかり忘れています)
明治維新を迎えたばかりで殖産興業政策を掲げた政府は、輸出品の要である生糸に力を入れました。
日本の工業化は、製糸から始まったのですね。
製糸場創建にあたり、建設や機械製糸技術の指導者として、フランス人を雇い入れています。
技術伝習生としては15~25歳の若い娘さんたちが募集され、新技術取得後、それぞれの地方で指導者として活躍したそうです>
労働時間も決して過酷なものではなく、優遇されていたようです。
ところが、こんな逸話があります。
フランス人が飲むワインを“血”と思い込み、「富岡製糸場に入場すると外国人に生き血をとられる」というデマが流れ、当初、工女募集の通達を出してもなかなか人が集まらなかったとか。
ワインを飲むという習慣が一般庶民には浸透していない、古き良き時代の笑い話ですね。
富岡製糸場_2
ヨーロッパの技術と日本独自の工法が融合してできた世界最大規模の製糸工場は、近代日本を象徴する建造物として百数十年の時を経た今も、創業当初のままだそうです。
2007年ユネスコ世界遺産暫定リストに記載され、て世界遺産登録に向けての活動が進んでいるところです。
富岡製糸場内部
世界遺産に登録されると観光客が増加する、少しでも空いているうちに・・・ということで行ったのですが、思わぬ勉強ができました。