市民を動かしたのは何?

3日間連続で新聞記事になるが、今日も目に止まった1つを要約して紹介する。
『遠野物語』が発刊100年を迎えた。
初版はわずか350部。広く知られるようになったのは、文庫本化された1955年以降。
70年前後に認知度は一気に上昇。
70年に開催された岩手国体が大きな転機となり、遠野物語に関連した様々な施設が作られた。だが、いずれも行政の施策として行われ、市民の関心は高くなかった。
ところが、80年代後半から市民主体の活動が目につくようになってきた。
先日の100年祭の催しでは、市の主催行事でありながら、催しのほとんどが市民を中心に企画され運営されていた。
遠野を代表する語り部と小学生とが一緒に昔話を語り、伝統行事の披露や、舞台の進行も挿入される音楽も、全て市民による手作り。最後には、舞台に溢れた小学生たちが足を踏ん張り、前屈みになって歌う「遠野の里の物語」を聞き、涙が出そうになった。子どもたちの、あの大きな口と見開いた目がある限り、遠野の未来は大丈夫だと思えるのだった。(口承文学研究家・立正大学教授:三浦佑之氏)
この記事の、何が目に止まったか?
70年代は市民の関心が薄く、行政の施策として様々な施設が作られていた。
ところが、80年代後半から市民主体の活動が目につくようになり、今年の100年祭では、催しのほとんどが市民中心に企画され運営されていた、という点だ。
一般的な傾向を見ると、自らは動こうとせず誰かがやってくれるのを待つという、受け身的な姿勢でいる人の方が多い。
市民を動かすきっかけとなったのは、何だったのだろうか。
おそらく、一人のちょっとした気づきからだと思う。
それに共感する人が1人、2人と現れ、大きな輪になっていったのだろう。
人は、意識がそこに向かっていない時に無理矢理動かそうとしても、決してよい結果は出てこない。
仮によい結果が出たとしても、長くは続かない。
例え亀のようであっても、地道にコツコツとやり続けていると、ある時パッと花が咲く。雪の下で、絶えに絶えていた植物が、雪解けと共に勢いよく伸びていくのと同じように。
結果を早く出そうと焦らずに、じっくり待つことも、また大事なことである。

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