親の教え?

昨日は橋本、今日は池袋での交流会が終わった。
ゴールデンウィークは仕事だった人も、休みでのんびりしていた人も、それなりに疲れているようだった。
ヒーリング等で、とりあえずは充電できた様子。
今日は「母の日」
それにちなんでか、昨日の読売新聞に“天に「見る目・聴く耳」”として、特別編集委員の橋本五郎さんの記事が載っていた。その最後に、次のようなことが書かれていた。
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母の背で「お母さん!お月さんが一緒に歩いている」と叫んだ私に、母は言った。
「そうとも、お月さんも私達を守ってくれています。天には『見る目・聴く耳』という のがあって、私どものすること言うことは、誰一人知るまいと思うても、ちゃんと知っていてくださる」。
そう自らをも励まし、困難な問題を解決した。
母子でこんなやりとりをしたことを大きくなってから聞かされた。
以来、超越的、絶対的な存在の前に、「いかなる場合においても常に正直と真実であらねばならぬことを、一生の教訓として私の生涯を支配するに至った」という。
母の存在は限りなく大きい。私にとっても母の言葉は今でも重く響いている。
「仕事には手を抜くな。全力であたれ。傲慢になってはいないか。常に謙虚であれ」
そして「どんなに嫌な人でも必ずいいところがある。そのいいところだけを見ればいい。自分にはない、こんないいところがあると思えば、嫌な人なんていなくなる」
母の教えに背いていないか。絶えず自問自答しなくてはいけない。芯からそう思っている。
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「・・・ねばならない」、「・・・すべきだ」という心のくせに囚われないということを書いた後だが、それと一緒に考えてはならない。
ここには人間としてもっとも基本的なことが書かれている。
人は、とかく物事が上手くいっていると傲慢になり、つい謙虚さを忘れる。
自分では気付かぬうちに欲得で物事を考え、自分の利益になる方へとなびいていく。
それが当たり前、自分のために道が開けていると思い込んでしまう。
真(まこと)の心すら忘れてしまう。
私自身は誰に教えられた訳ではないが、いや、親から知らず知らずのうちに学んでいたかも知れないそのことを、これまでの人生を通して再確認し、常に自問自答している。

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