新成人を見て思う

昨日は成人の日。
池袋での交流会の往復路、晴れ着姿の新成人があちこちに固まって楽しそうに話している姿が目につきました。
昨日の新聞やテレビでは、既に成人式が行われた地域での、新成人の暴走行為が取り上げられていました。
数年前から、自治体によっては成人式自体も見直され、そんな中での新成人の行動が注目されていますが、それでも同じことが繰り返されるのはなぜなんだろう?と考えてしまいました。
ひとりでは暴走する勇気もないでしょう。
おそらく「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な行動ではないかと思います。
それにしても、成人式を迎えた年齢になっても、やってよいこととやってはいけないことの区別がつかないのは困りものです。
そこに至った原因の一つは、大人にもあると思います。
子どもが小さい時にいろいろなことを経験させ、その中から物事の善悪を教えるということが少なくなっています。
子どもが悪いことや危ないことをしたら叱るという光景も、あまり見られません。
ですから、大人から叱られるのは違法であり、大人自身も子どもを叱ることは罪悪でもあるかのような錯覚に陥ってしまっているようです。
昔は「よく遊び、よく学び・・・」と言いましたが、よく遊ぶ子は学ぶこともしっかりとしました。
よく遊ぶ子は、人を思いやる気持ちも育てました。
今の時代に言われる「心と体のバランスがとれた状態」と同じようなことではないでしょうか。
今と昔では、遊びの質が違います。
したがって、十分にエネルギーを発散できない、あるいは発散方法がわからないまま成長し、そんな自分自身をコントロールすることもできずに、中でくすぶっていたものを歪んだ形として噴出させているのでしょう。
今の若者全てがそうだという訳ではなく、ほんの一握りかも知れませんが、仮に一握りの人たちがとった行動でも、「今の若者は・・・」と総称して言われてしまうのです。
それはいつの世も同じことで、私たちの時代もその当時の大人から見れば、「今の若者は・・・」と言われていたのかも知れません。
いずれにしても、幼少期の育ち方が、良くも悪くもその後の人生にいかに大きな影響を与えるかということを、真剣に考えなければならないと思います。

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