外で遊ぶことの意味

何気なく見ていたテレビで、子どもの運動能力について報じられていました。
直線で走ることができず、すぐ曲がってしまう。
木登り、それも垂直に立った木ではなく、限りなく水平に近い木にさえ登ることができない。
幅跳びをしても、前のめりになって突っ伏してしまう。
つまり、飛び跳ねるということができない。
転んでも手が出ず、顔から突っ込んで顔に怪我をする。
雲梯ができない。
などなど、聞いていると信じられないことばかりです。
現在の小学校4年生の運動能力は、何十年前かの幼稚園児の運動能力と同じとか。
その原因は、「外で遊ばなくなったから!」と声に出して言っていると、全く同じことをテレビの中でも話していました。
私たちの子ども時代、家の中で遊ぶのは雨が降った時だけ。
家の中にいると、「外で遊んでこい!」と、追い立てられるようにして遊びに行かされたものです。
小さい子から中学生の大きな子まで、みんなが一丸となって遊んでいました。
「外で遊べ」と言いながら、真っ暗になるまで遊んでいると、今度は「いつまで遊んでいるんだ」と叱られる。
毎日がその繰り返しでした。
それだけ世の中も平和で、また地域の人たちが必ずどこかで見守ってくれていたのです。
子どもたちも、今のような横のつながりだけでなく、縦のつながりがあり、良いことも悪いことも、お兄さん、お姉さんたちから教わりました。
そして、してはいけないこと、誰かをいじめたり仲間はずれにしたり、その他いろんなことをするたびに、地域の大人たちから褒められたり叱られたり・・。
こうした日々を過ごしているのですから、運動能力は伸びますし、物事の善悪や人への思いやりなども自然に身についていきます。
それに比べると、今はどうでしょう?
家の中で遊ぶゲームがすさまじく発達したことや、塾通いが忙しく、外で遊ぶ時間がなくなっています。
また、社会の治安状況が大きく変わっていることも、大きな原因の一つです。
外で遊ばせていると、いつ、何が起こるかわからないという不安感。
安心して外で遊ばせることができないというのが、運動能力を伸ばすことができない一番の原因かも知れません。
しかし、これは悪循環の繰り返しのような気がします。
思いっきり外で遊び、エネルギーを発散させる。
そうした中から物事の善悪を学ぶ。
思いやりや優しさを身につける。
それが、本来の姿ではなかったのかと思います。

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