失われる精神性

先日、新聞に「失われる精神性」という大見出しの記事が取り上げられていました。
その記事に関心を持った理由は、葬儀の時に使用される「宮型車」といわれる霊柩車が題材になっていたからです。
宮型車は、あの形からいかにも葬儀の時の車ということであまり評判が芳しくなく、最近は新型車に取って代わられ、ほとんど使われなくなってきているそうです。
そのうちの何台かはモンゴルに持っていかれ、彼の地で大いに活躍しているとのことです。日本独特の習俗を守りつつ西洋の文化を取り入れて作られた、日本的発想のユニークな産物であるにもかかわらず、今敬遠されて無くなりつつあることについて、「何事にも通じることだが、自分の都合や流行、経済性ばかりが優先されて、あるべき姿や精神性がその意味も問われずに失われていく」と書き表されていました。
この文章を読み、確かに何事にも通じていることであり、レイキについても言えることだと思いました。
レイキは日本発祥ですが、海外に渡ってREIKIとして広く普及し、それが日本に逆上陸してきました。
その後、現在に至るまで日本国内でもかなり普及しましたが、本来伝えられていた精神性の部分が欠如していることが、多く目につきます。
特に最近では、まさしく自分の都合や経済性が優先され、正しく伝えられなければならないはずの精神性が失われてしまっています。
受け継ぐべきもの(こと)は受け継ぎ、伝えるべきこと(もの)はきちんと伝える。
そのことにこそ意味があるのではないかと思います。
なぜなら、その意味を理解できているからこそ受け継ぎ、また伝えていくこともできるのではないでしょうか。

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