自分の目で見、聴くこと(見えないものを見、感じること)の大切さ

3日ほど前の新聞投稿欄に、赤ちゃんの泣き声を分析して、「空腹」「退屈」「不快」「眠気」「ストレス」の五つの感情の中から1つを判断するという「ホワイクライ」という機械に頼ることの不安・心配についての投稿記事が掲載されていました。
「人の心の中を覗くことはできない」と前回書きましたが、だからといって赤ちゃんの泣き声を機械に判断してもらわないとわからないようでは、将来その子供とのコミュニケーションはどうなっていくのだろうかと、非常に危惧感を覚えました。
昔、保育園の保護者の方々に「親子共育」ということをよく話してきました。
親は一方的に子供を育てていると思い込んでいますが、実は、親もいろいろな体験を通して子供に教えられ、育てられているのです。
そして、子供が1歳の誕生日を迎える時、父親、母親としても1歳の誕生日を迎えるのです。
親も子も共に育っているというわけです。
まだことばを話すことのできない赤ちゃんが、また、自分の思いを上手く伝えられない幼子が、どうしてほしいのか、何がほしいのかを、機械に頼らず自分の目で見、聞いていく(心の眼で見、聞く)ことはとても大切なことです。
間違いをしながらでも、子供との肌のふれ合い、ことばがけを重ねていくことで、子供も安心感を得られます。
やがて子供が成長し、「何を考えているのかわからない」という時期がくるでしょう。
そのような時、赤ちゃんの時からしっかりとコミュニケーションが取れている状況であれば、少しでも理解し合おうという気持ちが湧いてくるでしょう。
ご自分の子供は、赤ちゃんの時からしっかりと自分の目(心)で見、自分の耳(心)で聴くことの大切さを再認識していただけると嬉しいです。