執着する心から自在な心へ

昨年、このらくがきに「ほんとうに人間が幸せになるためには、物事に執着しない自在になれる心を自分のものにしなさい」と、お釈迦様が教えていたということを書きました。
あれが欲しいこれが欲しい、あるいはこれだけは手放せないというような欲望をふり捨てることで、とても気持ちが楽になり、自由になれるというのです。
ところが、あれが欲しいこれが欲しいという欲望は多少捨てることができても、これだけは捨てられないという欲望に負け、そのものへの執着心にがんじがらめにされてしまうことが多々あるように思います。
自分がこれまで大事にしてきた考え方、心、あるいはものを手放すことは、大変難しくもあり耐え難いことです。
しかし、手放すに至るには、手放すものと手放されたものの両方に、それなりの理由や必要性があります。
私自身、過去にこの思いに囚われたことがありました。
なぜ手放さなければならなかったのかを冷静に考えた時、ハッとしました。
自分の中に「これが自分のところにあるのは当たり前」という慢心に満ち溢れていたように思いました。
自分の手から離れたものの気持ち(たとえ品物であっても)など考えていませんでした。
どちらにとっても、その必要があったからこそ手放すことになったのですね。
そのことに気づいた時、とても気持ちが軽く、楽になりました。
もし気づいていなかったら、おそらくその持ち主となった人を怒りなどマイナスの気持ちで見ていたことでしょう。
何かに執着している時は、決して自在になれる心は自分のものにならないのですね。

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