「うちの親たちなら・・・」

昨日、横浜に向かう車中、<やっぱり快速に乗ればよかったかな。でも、快速のすぐ後の電車は空いているな>などと思いながら、ぼんやりと窓外を眺めていました。
いつもなら快速を利用し、車中では本を読むか瞑想にふけるかしているのですが、昨日は珍しくその気分ではありませんでした。

途中駅から母娘孫(男児2人)3世代と思われるファミリーが賑やかに乗り込んできました。
しばらくすると、弟君が何か大声を出しながら車両の前の方に走っていきました。
次いでお兄ちゃんが走っていき、戻り、また走って行きと繰り返していました。
乗客はみな黙って見ていました。
私も<お母さんもおばあちゃんもどうするかな?>と興味津々で見ていました。
2人とも何も言わず、それでもおばあちゃんの方が男の子たちの方に向かって歩いていきました。
この時、私はふと思い出しました。
「うちの親たちなら、とっくに引っ叩かれているよな」という息子と息子の親友とのことばを・・・。

この2人が山手線の車中でやはりこれと同じような場面に遭遇した時、前述の「うちの親たちなら・・・」そして「今の親は躾もできないんだから」と2人で話したということを後日語ってくれました。
<2人ともまだ学生なのによく言うよ>と笑ってしまいましたが、「引っ叩かれる」という形容は、マナーを含めいろいろな面でそれくらい厳しく注意されたということを言いたかったのだと思いました。
息子の親友のご両親を思い浮かべてみると、そのことばは頷けるものでした。
<子どもたちは、実際のところ躾についてどう思っていたのだろう。聞いてみたいな?>と思っていると、「昔叱られた時は、なんて厳しい怖い親なんだろうと思った。だけど、それは僕たちが悪かったからで、きちんと怒られる理由もわかっていたし、ほんとうに感謝しているよ」という2人のことばがかえってきました。

それにしても、学生に「今の親は・・・」などと言われるようでは、なんて情けない世の中なんでしょう。
今「虐待」が問題になっていますが、虐待と愛情を持って叱ること、教え導くことの区別ができないのでしょうね。

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